top of page

LEGACY

​映画「LEGACY」庄内藩幕末秘話 製作概要

 

 

☆背景

  • 映画「幕末庄内藩秘話(仮称)」の背景2016年10月7日、政府は閣僚懇親会で、明治維新150周年になることを記念し、関連施策の検討を始めるように各省庁に指示。菅官房長官は、この後の記者会見で、「我が国にとって一つの大きな節目になる。明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは極めて重要だ」と強調。地方公共団体や民間の取り組みを支援する意向を明らかにしました(日経2016年10月6日)

 

 

☆映画 「幕末庄内藩秘話」(タイトル「 LEGACY」)

  • 製作…映画「LEGACY-幕末庄内藩秘話」製作委員会

  • 製作委員会メンバー...公益財団法人 日本国防協会/宇田川敬介/荒木幹光/小暮満寿雄/安倍太一株式会社SHIKIREI/株式会社エンフィールド/株式会社スリーベーシス/その他 製作委員会幹事会社... 株式会社SHIKIREI 鈴木翔太 (公益財団法人 日本国防協会)住所 〒140-0001東京都品川区北品川1丁目9番7号

 

 

制作統括 (ゼネラルプロデューサー)…

  • 高野育郎

 

原作 脚本…

  • 宇田川敬介 (公益財団法人 日本国防協会)

 

デザイン...

  • 小暮満寿雄

 

音楽...

  • あいあい

 

監督...

  • 三原弘樹 (公益財団法人 日本国防協会 青年部副部長兼広報担任部会長)

 

プロデューサー... 荒木幹光/上田佳湖 (公益財団法人 日本国防協会 青年部副部長)安倍太一

 

協力支援…公益財団法人 日本国防協会

 

法務 制作事務... 株式会社十六住所〒330-0855さいたま市大宮区上小町905青竹ビル302-3basis

 

配給  イオンシネマズ他 全国200館上映予定

 

 

協力支援  山形県/衣装協力...倉持三男

   

☆あらすじ

  • タイトル「LEGACY」 原作「庄内藩幕末秘話」「庄内藩幕末秘話第二 菅秀三郎と西郷隆盛」 戊辰戦争のきっかけとなった薩摩藩邸焼き討ち、そして、戊辰戦争を通して佐幕派も官軍も「日本をよくするため」に戦った。 戦の恩讐を超えて、友情と信頼を得ることができた庄内の菅秀三郎と薩摩の西郷隆盛。そしてそれを見守る公家四條隆謌や三条実美。しかし、その友情と信頼を理解できず権力の前に権力争いを行う中で、いつしか。西郷隆盛は新政府から外れて西南戦争へと引きずりこまれてしまう。 友情をとるか、それとも、西郷の志を実現することをとるか、悩みぬいた庄内藩の決断は。 戊辰戦争において唯一「官軍に勝ち続けた佐幕派」である庄内藩と、明治維新であまり語られることがなかった「公家」の威信に対する意気込みや、若手下級藩士への心遣い、そして開国・攘夷で揺れる中で「本当に日本をよくすることは何か」ということを、命を懸けて世の中に示した幕末志士のそれぞれの立場から、明治維新と西南戦争を語る。 慶応4年(1868年)庄内藩は江戸を引きあげ庄内藩に藩主だけでなく、当時の新徴組も引き連れて反に帰り、そして「幕府のためではなく人の道のために戦う」ということを決断した。 幼主酒井忠篤は、「戦をする奴は馬鹿だ」と吐き捨てるように言いながらも「しかし、危機の時に槍を持てないやつは意気地なしだ」と藩を鼓舞し、戊辰戦争に備えはじめた。 庄内藩は豪商本多家の財力もあり、スネルから最新の武器を購入し、また酒井玄蕃など優れた指揮官にも恵まれ、官軍を打ち破り、久保田藩に迫っていた。しかし、そのような中、長岡藩が破れ、奥羽越列藩同盟の盟主である仙台藩の伊達家も、米沢藩の上杉家も降伏してしまう。 「これ以上戦うのは人の道にあらず」として北陸鎮撫軍参謀の黒田清隆に降伏を申し入れた。 その後、会津藩などは、厳しい国替えがあるにもかかわらず、庄内藩は現状維持で許される。そのことをめぐり、新政府の中では薩摩と長州、四條隆謌と岩倉具視で対立が広がった。しかし、結局四條隆謌が押し切る。 庄内藩を代表して中老菅秀三郎が黒田のところにお礼に行くと「すべて西郷がやったことだ」として、西郷のところに行くように言われた。謹慎が解けた酒井忠篤は、薩摩に研修に行くなど庄内と薩摩の間には、いつしか友情以上の信頼が生まれ、殖産興業も最も初めに松が岡開墾ということで庄内が行うなど、信頼とそれに応える庄内藩という形になった。 しかし、その関係は長くは続かない。明治6年の政変で西郷が下野すると、庄内は徐々に隅に押し込められ露骨に警戒される。そのような中、明治10年、西郷隆盛が挙兵した。優れた指揮官であった酒井玄蕃を病気で失っている庄内藩は、血気に盛って挙兵しようとするもの、脱藩して薩摩に行こうとするものが続出するが、西郷の「よい日本にするため」ということを受けた菅秀三郎は、「軽挙妄動慎む」として藩をまとめておさめた。 。 西郷の死後、西郷の教えと志を世に広めるために、庄内藩が中心になって「南洲翁遺訓」をまとめ、四條隆謌や黒田清隆に協力を仰ぎ西郷の復権と日本の発展に努めた。

 

 

「登場人物」

  • 沖田林太郎(42歳)沖田芳次郎(16歳)沖田みつ(36歳)  西郷隆盛(40歳)菅秀三郎(38歳) 酒井忠篤(15歳)岩倉具視(43歳)四條隆謌(40歳)三条実美(31歳)大久保利通(38歳)黒田清隆(28歳)木戸孝允(35歳)酒井玄蕃了恒(25歳)本間光美(32歳) 大山格之助(43歳)くの一まつ(26歳)桂太郎(20歳) 鱸成信と伴兼之の兄弟(22歳と20歳)松平権十郎親懐(30歳)羽賀忠次、中村常右衛門、千葉雄太郎(年齢不詳)  そのほか百姓・町人・官軍兵士・庄内藩兵士役多数

  •  

  •  

bottom of page